江戸時代の陸上交通とホテル、海上交通と船
陸上交通とホテル
昔は、江戸・大阪・京都が三大大都会! 三都と呼ばれていて、そこを中心に、参勤交代とかのために、道路がごちゃごちゃぁーと作られた。
そのなかに超便利な道路があった。それが五街道。江戸をスタートして、三都をスムーズにつないでたから、めちゃめちゃ便利がられた。
当時は道中奉行って人が管理していた。
脇街道って道路も有名だった。
超有名! な五街道にはこんな名前がついていた。
・東海道
・中山道
・甲州道中
・日光道中
・奥州道中
こういう道路とか脇街道とかが、ごちゃごちゃーとあって、陸上交通が便利になった。
しかも、そういう道にはホテルがいっぱい! 当時はホテルを宿駅といった。
ホテルには、馬とか手配してくれるビジネスマンがいた。そういうビジネスマンを問屋といった。
またそのビジネスマンたちがタバコ吸ったりする部屋を、問屋場といった。
あとホテルには郵便局の支店がくっついてて、そこの郵便配達員たちは、継ぎ飛脚と呼ばれてた。
大名が利用する赤坂プリンスみたいな、一流ホテルを本陣・脇本陣といった。
庶民が利用するアパホテル的ホテルは、旅籠屋といった。
道路交通のルール
関所ってのがあった。そこには、持ち物チェックするお巡りさんみたいのがいた。
東海道の箱根・新居(神奈川・静岡)、中山道の碓井・木曽福島(群馬・長野)なんかに、関所があった。
今ではパトカー・救急車が最優先車両。
それと同じで、当時は幕府や大名が、パトカーみたいなもんで、最優先車両だった。
しかも庶民は幕府の人たちに、馬とか人を、ただ使わせてあげないといけなかった。
そのカツアゲ行為を、昔は伝馬役といった。
海上交通
いま日本に入ってくるもののほとんどは、船で入ってくる。
当時も、大量の物資を運ぶのには、水上交通が便利がられてた。
いまでいう税金、当時は年貢米だったけど、これを運びやすくするために、大阪と江戸をメインに海上交通の整備が始まった。
なかでも、金持ちの家に生まれたお坊ちゃま・角倉了以がめちゃめちゃ整備した。
その金持ちパワーで、川をどんどん開削!
富士川・高瀬川・天竜川をアレンジして、荷物を運びやすい川にした。
そんな川たちで、17世紀前半(1601~)から、菱垣廻船っていう木の船が活躍。
そのあと18世紀前半(1701~)からは、酒樽を積み込んだ樽廻船が活躍して、19世以降は樽廻船がメインに。
もちろん海でも船は活躍。
海では、河村瑞賢っていう、もともと漬物屋をやってた人が、海上交通網の整備に貢献した。
この河村瑞賢は、明暦の大火って火事で、江戸が焼け野原になったとき、材木を買い占めて大金持ちになってた。
いまでいうと仮想通貨で一山当てて億稼いだ、みたいなやつ。
この河村瑞賢が、岩手-東京、山形-東京・大阪の海上交通網を整備した。
陸奥-江戸間を東回り海運、出羽-大阪・江戸間を、西回り海運といった。